予定が決まっている旅ではない。誰かに急かされる旅でもない。何かをしたければすればいいし、何もしたくなければしなければいい。しかし、そのすべては自分に返ってくる。
ジョンソンズクロッシングで感じた見えない恐れは、目の前に現れる極北の風景に溶かされていく様に消えていた。川の上で船に揺られながらビールを煽るたびに、ワクワクが止まらなかった。
ゆっくりと静かな川面にパドルを入れていると、時折目の前をアビが横切り、岸辺に目を向けるとムースがこちらを伺っていたりする。突然のスコールのような雨にも、川の上ではその雨を遮るものなどなく、わざわざ上陸して雨宿りするのも面倒なので天然のシャワーを浴びながらフネを進めていく。人影などほとんど見ないここでは、すべてが自然任せだ。
白夜のため、時計を見なければ昼なのか夜なのかはわからないが、そろそろ腹が減ってきたので夕方くらいだろう。ちょうど手頃な中洲があったので、上陸して今日の宿にすることにした。
今朝の出発前から今宵の晩飯はいわしご飯にすると決めていた。いわしの缶詰と根菜類と米をだしと醤油で味付けして一緒に炊き込んでしまう。簡単ですこぶるうまい、お気に入りのアウトドアメニューだ。頭の中は既にいわしご飯でいっぱいになりながらフネを中洲につけ、手早くテントを張り、たき火用の流木を集めて火をおこした。
ふと空を見上げると雲行きが怪しくなってきた。早く飯食って、雨見ながらテントの中で一杯も悪くないな。鍋を火にかけながら、まだまだ始まったばかりのこの旅がこんなワクワクの連続であることに感謝をした瞬間、顔に雨粒があたった。
クマなどの動物がよってこないように、テントに食べ物の匂いはつけたくなかった。飯はなるべく外で食べたい。鍋のふたをそっと開けてみると、念願のいわしご飯は完成しているようだ。雨が本降りにならないうちにと思い、熱々のいわしご飯をあわててほおばる。こんなときに限って、そのいわしご飯は今までで一番の出来だった。
味わいてぇ。
しかし、非常にも雨はポツポツからパラパラへ。そして今まさにザーザーへと変わろうとしていた。雨の中、過去最高のいわしご飯を味わうこともできず、口の中が火傷をしそうな勢いで平らげ、テントに入ろうと立ち上がった瞬間、台風並みの突風が背後から襲ってきた。鍋と箸を持ちながらよろける私の視線に入ってきたのは、その突風をもろに受け地面に打ち込んだペグが鮮やかに吹っ飛びひっくり返るテントの姿だった。テントはかろうじてペグ一本が残り、バタバタと宙に舞い地面に叩き付けられを繰り返している。いつ完全に飛ばされてもおかしくない。そして、ここは中洲。風下は風の影響で高い波がたっているテスリンリバーだ。ここでテントを失っては、これから先の旅が宿無しになる。地面の石ころに足を取られながら、祈るような気持ちでテントのもとに全力で走った。強風の中、テントを立て直そうとしたが全く歯が立たない。仕方なくテントを倒したままその上に腰を下ろした。
雨は既にどしゃ降りへと変わり、なぜか鍋と箸を手にしたまま滝に打たれる修行僧の様につぶれたテントの上で呆然としていた。
この旅はワクワクの連続ではなかったのか…。しかし、油断してペグを浅く打っていたのは自分だ。八つ当たりをしたくとも、それを受け止めてくれる心優しい誰かはいない。全てを自分の中だけで完結させねばならない。
だが、幸運にも嵐はいつまでも続くものではない。徐々に弱まっていく風の向こう側、雲の切れ間から差し始めた一筋の光は、晴れた空の下でのうまいビールというプレゼントを持ってきてくれる。季節外れのサンタクロースは、もうそこまで来ている。