河は人が生きていくための全てを運んできてくれる。古来より、文明は川沿いに栄えてきた。そこでは人が行き交い、生き物たちがあふれ、風が絶え間なく吹いていた。世界文明と言われるような文明はここには栄えなかったが、間違いなく人が生まれ、生き、死んでいくことが出来る全てがここにはある。


 ジョンソンズクロッシングを旅立ってから初めての村、カーマックスに到着した。人口約500人ほどの小さな村だ。上陸ポイントはキャンプ場になっており、水道やトイレも完備された快適な寝ぐらになっていた。荷物をフネからおろし空いているサイトにテントを張り、一息ついてから買い出しに町へ出る。
 道すがら、ネイティブアメリカンが数人たむろしていた。酒に酔っているのか視線が定まっていない。ここはアルコールが手に入らないドライビレッジのはずだが、酒を手に入れる方法はいくらでもあるようだ。彼らの横を通り過ぎようとした時、声をかけられた。「お前、日本人か?」ろれつが回っていない。「そうだ」と答えると、「日本は、好きだ」。なにを理由にそう言っているのかは分からないが、自分の生まれ育った国を好きと言われ悪い気はしない。彼らと話をしようとしたが、泥酔状態の彼らとしらふの自分とでは会話が成立する訳もなかった。その場から立ち去ろうとすると、背中越しに声が聞こえた。「I like Ninjya!」 日本が好きとはそう言うことか。

 人のいるところでは、人の作った料理を食おう。小さなレストランに入り、バッファロー肉のハンバーガーを注文した。この10日間、肉のたぐいを口にしなかった体に、血の匂いがする肉汁がしみ込んでいった。

 ハラを満たし、手持ちの酒で一杯やろうとテントに戻ると、キャンプ場は様々な人たちであふれ返っていた。カヤックで3000km先のベーリング海を目指している者。北極海沿岸の村、イヌビックからシアトルまで自転車で旅してる者。旅の手段や移動距離などは関係なく、誰もが勇者の目をしており、目が合えば同じ時を生きる戦友としての信頼のまなざしがあった。
 翌日、汚れた衣服の洗濯や荷物の整理をしながら過ごしていると、隣のテントの自転車乗りが向こうでパーティーをしてるから来ないかと誘ってくれた。大量の酒があるとの一言でついていくと、川岸では立ったまま円になって酒のボトルごとぐびぐび飲みまくっている集団がいた。アメリカからやってきたというカップルがユーコンの旅をここで終えるため、余った酒をみんなに振る舞っていたのだ。6人ほどのその輪の中に入ると、隣からスコッチやらシャンパンやらのボトルが回ってくる。カナダ、アメリカ、ドイツ、オーストリア、日本。世界各国から集まった勇者たちは、それぞれの旅の話をしながらボトルごと酒をあおると、そのボトルを隣にまわす。するとすぐに違う瓶が自分のところに回ってくる。自分がなにを話しているのか分からなくなるまで、そう時間はかからなかった。しかし、会話の内容などどうでも良かった。皆が笑顔でいれば、それで良かった。川面に反射する光が、たまらなくまぶしかった。

 彼らと話し込んでいると、先ほどのネイティブたちがキャンプ場をうろつき始めた。すると、そこにいるキャンパーたちは一様に困惑とあからさまな嫌悪の表情を浮かべこう言った。「あいつらには近寄るな」。
 先住民と入植者。有色人種と白人。広い北アメリカ大陸で繰り広げられた人と人のいがみ合いは、数百年経った今でも変わることなく続いていた。自分がネイティブたちと同じ有色人種であるが故に、同じ戦友のその言葉は悔しさと悲しさとになって心に刻み付けられた。口に含んだスコッチが苦く感じられた。
 ネイティブたちが日本は好きと言った本当の意味は、ここにあったのかもしれない。

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