人が旅をすることに理由がいるだろうか。
人の歴史は旅の歴史である。それは、生きるためであり、未知な物への好奇心であり、数多の出会いを人が欲しているからだ。そこに理由などという野暮な物は存在しない。目の前に現れる全てのものにも理由などなく、しかし、それらは優しく、厳しく、旅することの理由を問いかけてくる。
轟音をたて目の前に現れたファイブフィンガーラピッツは、まだ距離があるせいか思っていたよりも小さく見えた。瀬では一番水量のあるコースを進むのがセオリーだ。幾人もの野心家たちを飲み込んでいった真ん中の本流は、波の高さはあるものの比較的素直な流れのようにも見える。
行けるか。
臆病な心に小さな火がついた。あれを超えれば自分の武勇伝になる。たいした瀬じゃなかったよと、笑って話す自分が目に浮かんだ。やってやろうじゃないかという思いで舵を左にとる。だが、見る間に迫る岩の大きさと徐々に高くなる波に、心の火は瞬く間に小さくなっていった。
この川と命をかけて戦う理由はどこにもない。負け惜しみと言われようが、生きて帰ることが最高の武勇伝になる。
河の中央にコースをとりかけていたフネを右のコースに戻す。さらに大きくなっていく波が、フネを大きく揺らしていく。一番右のコースは10メートルほどの幅を持ち、両岸は切り立った崖になっていた。大河と呼ばれる川幅になれていると、とてつもなく狭い水路に迷い込んだ錯覚を起こす。
目の前の視界を遮るように迫る波は、フネを前後に大きく持ち上げていく。船首が空を向き、足下に押し込んでいたカメラバッグが膝を直撃した。次の瞬間、水面に真っ逆さまに船首が突っ込むのと同時に、カメラバッグが元の位置に戻っていく。今まで経験したことのない強い水の力に捕まらないようにフネをコントロールしていくが、その流れはとても素直な流れだった。
空を向き、水面に突っ込みを何度繰り返しただろう。岩の切れ間から本流を見ると、まさに龍が暴れるがごとき水流の渦が見えた。
やがて、カメラバッグが足下の定位置から動かなくなった。
旅の始まりから怯え続けたファイブフィンガーラピッツは、鋭い牙を剥く訳でもなく、優しく抱いてくれる訳でもなく、ただ自分の後ろで轟音をたて流れているだけだった。
中洲にテントを張る。再び一人のキャンプ生活が始まった。パスタで簡単な夕食を済ませ、焚き火の前でウイスキーを飲んだ。ユーコン最大の難所を超えたことには、しかし、何の感慨もなかった。
ぼーっと焚き火の炎を見つめていると、急に胸に虚しさがこみ上げてきた。ファイブフィンガーを超えたところで何も変わらない。このユーコンに、この極北の地に、なにを求めたのか。何のためにこの旅を続けているのか。そして、なぜ自分は一人でこんなところにいるのか。つい昨日まで聞こえた人の声は聞こえない。
ウイスキーの入ったカップを握りしめ、地面の小さな石ころを見つめた。
こんなとこ、来るんじゃなかった。
その時、焚き火のはじける音が「そうかい?」と言った。
突然視界がぼやけ、止めどなく涙があふれてきた。しかし、その嗚咽は誰の耳にも届かなかった。